点鐘 藤井会長
ソング 我等の生業
ゲスト 棟方志功記念館 館長補佐 武田公平さん
オブザーバー なし ヴィジター(敬称略) なし
本日の出席率 20名中15名 75%
8月31日分確定出席率 20名中18名 90%
メーキャップ(敬称略) なし
誕生祝 なし
ニコニコBOX 15名 7,500円
<ニコニコのコメント> ・ 武田さん、早朝卓話ありがとうございます。(全員)
・ 15日と16日、10市(とし)大祭典が新青森駅東口で開催されます。是非ご来場を!!(小比類巻)
・ 昨日は棟方志功の命日です。私も年1~3回記念館を訪れます。
・ 地区大会での役割がありますが協力をよろしくお願いします。
・ IM実行委員会について9/26夜例会でフォーラムを開催。
・ ガバナー事務所より、次々年度のガバナーの推薦依頼がきております。
・ 「アクトの翼」で来青する台湾高校生20名のホームシテイ先ホストの依頼がきていますのでご協力をお願いします。私と芳賀さんが既に受け入れを決めています。
・ 地区より、2013-14年度青少年交換 派遣学生・来訪学生受け入れクラブの募集。(詳細回覧・申込はクラブ事務局へ)
・ 地区より、第3490地区(台湾)とのインターアクトクラブ交流会のご案内。(詳細回覧・申込はクラブ事務局へ)
・ 旭川モーニングRCより、会報。
<委員会報告>
・ IM実行委員会の構成は配布資料の通りです。
・ 9月26日夜例会でIMのフォーラムを開催します。
<同好会報告>
【ゴルフ愛好会】
・9/17開催の3RCゴルフ大会は当RCより6名参加。9/19党愛好会ゴルフ大会は9名の参加です。細井会員の配慮で昼食券をいただく予定です。
卓話 「棟方志功について」棟方志功記念館 館長補佐 武田公平さん |
卓話者紹介(新岡会員)
・武田さんは昭和24年生まれです。昭和51年から志功記念館に勤め、棟方志功のすみずみまで熟知している方です。
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【棟方志功の幼少】
・施行は1903年青森市で生まれた。鍛冶屋の息子で父親は刀物の名人と云われた方である。時代の趨勢で鍛冶屋は廃れていきますが、名人の才能が志功に受け継がれたと当時の人々は云っておりました。
・小学1年生の時、青森で大火があった。この時学校は遠足だった。眼の悪い志功は遠足に行かず何処かへ兄と遊びに行っていた。眼の悪い志功は兄に背負われ大火の様々な色彩が何ときれいなことかと感動していた。又、低空飛行の飛行機がどこかへ落ちるのではないかと仲間と追いかけ転んだとき、眼前に白い花があり何ときれいな花だと思った。この体験が画家をめざす第一歩でした。 |
【上京】
・大正13年、21才の時、画家をめざし上京した。上京後、すぐに帝展に入賞した。
・その後、東京に住み、鎌倉にアトリエを構えたが、心はいつも青森を向いていた。歌手北島三郎も歌手をめざし上京した折に、往路の途中、自分は故郷を捨てたのだと思ったが、その後も故郷を忘れることはなかった。志功も全く同じ心境だったと思う。自分が成功し、作品をみて貰うことが故郷の人々への恩返しと思った。昭和43年青森市名誉市民賞の称号を得た。
【鎌倉記念館と青森記念館の合併と志功の晩年】
・去年の今頃、鎌倉と青森の合併話が進み、鎌倉からは青森の700作品を上回る1100作品が移設された。版木が世間に公開されたのは2003年の生誕100年の時からである。
・彫り方は一定の方向に一定のリズムで彫られている。彫っている中に彫っていることに夢中になっている志功の姿が垣間見られる。版木は一枚の彫刻レリーフのようである。
・移設作業の折、志功最晩年の作品35点がみつかりました。保存状態が悪く、汚れ、カビ、欠けている部分もありました。
・この作品は逝くなる半年前ベッドで作ったもので主にダルマをモチーフにした作品です。「七転八起」の意味合いで作ったものと思われます。
・入院中も、絵具、墨は離さず、「伊勢エビ」「なまけもの」「茶碗」など入院中に話題になった素材の作品を作っております。このころの作品は肩の力が抜け、それまでの志功作品と少し違う趣です。
・志功は昭和50年に逝去され三内霊園に眠っております。
【棟方志功記念館秋の展示会】
・9月11日(火)~12月16日(日)の会期です。
・晩年の作品35本の中、25本が公開されております。
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